Jolly Roger

にかほ市象潟にあるpool bar&ライブスポット”Jolly Roger”象潟駅前徒歩2分

TEL:0184-43-5227

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一期一会

にかほ市の飲食店の状況はますます厳しいようですが、おかげさまでなんとか今年も切り抜けられそうです。

そりゃ、17年もやってりゃいろいろありますよ。

覚悟はできてます。だってオープンした当初は、薄暗く怪しげなロックバーとして悪名高く、1年保たないとよく言われていたんですから、奇跡みたいなものです。

でもね、僕もやってみてわかったことや、反省することも多々ありましたが、基本的には来てくれるお客さんが満足して帰ってくれてるかな?ってことを1番気にしてるのは、17年前も今も少しも変わってないですから。

きっと好きなんでしょうね。人が笑ったり、喜んだりするのを見るのが。

バンドやってる時も、同じこと考えてましたよ。

せっかく、同じ時間を共有してるのだから、そりゃあ、とっても貴重なひとときですよ。

これも先輩方から教わった事ですし、これからも大切にしていきたいです。


師走なのに

パッとしない毎日が続きます。

お天気のせいにしておりましたが、そろそろ忙しくなってもいんじゃない?

アベノミクス、うちらみたいな弱小企業がみんななくなってからやっと浸透して、アベノミクスは成功しましたーって言うつもりなのかい?

家庭があって、生活があるのは、みんないっしょのはずなんですがね。

明日から、週末。がんばります!

ジョリーロジャーは12月31日まで営業しております。

今年まだって方は、是非お待ちしております!


大阪ストラット 8

やっぱ、大阪人の底抜けの明るさはハンパない。

皆、大阪を離れたくないのがわかる。

本気で喧嘩してても冗談にもみえるし。それでちょっとするとお互いガハハと笑ってる。

さっき出会ったばかりの人が、もう何年も前から付き合ってるかのようだ。

大阪ストラット。愛して止まない大阪の街。仲間。思い出。

その後、また東京を経て俺は秋田に戻り、10年がたった頃、

俺のとても大事な人が、突然死んだとの連絡がきた。

半年前にある病気と聞き、彼を見舞って大阪で会ったばかりだった。

そしてお互いの健康を願って夜のミナミで別れたのが、最後になってしまった。

追悼の場で、俺は人目を憚らず泣いた。

すると、半年前に初めて会った、故人の友人のバーのオーナーから「兵藤くん、今日は涙ながしたら、あきまへんで。」と言われた。

確かに、悲しくないはずはないのに、泣いてる人などどこにもいない。

むしろ、久しぶりの仲間との再会に喜んでいるようだ。

追悼ライブから打ち上げまで、しんみりした雰囲気などどこにもなかった。

気がつくと早朝、ブルさんと、ヨースコーさんと俺は吉野家で3人で牛丼食ってた。

居酒屋で朝まで一緒だった、他の人達の事などまったく気にしてもいない。

これが大阪なんだ。俺は少し救われたような気持ちになった。

「みんな、上手くやれよ。元気だったらまた会おうぜ。」

大阪の街がそう言っていた。

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写真はゲジさんより拝借。

 


大阪ストラット 7

遊ぶにはお金がかかります。バイクにもお金が かかります。(修理代)

さあ、 それじゃお仕事編。

まずは、東京時代のコネでサンダル屋の問屋。営業マンが東京で取った注文を大阪の倉庫から出荷するお仕事ですが、お正月に社長の家に呼んでもらったり、なんと!社員旅行がワイハーだったりと  、ホントお世話になりました。この場を借りて、御礼申し上げます!!

深夜の出前のバイト。電話で注文を受けて、それをスタッフが作り、俺がミニバイクで配達する。周りは1人暮らしのマンションだらけで結構朝まで走りっぱなし。

特に深夜なもので、配達先が暴◯団事務所だったり、マンションのあちこちからカップルの仲の良い声が漏れてきたりと、退屈しませんでしたね。

ミナミの深夜喫茶。お客さんの7割がホステスさんか、その業界のひと。後にその紹介でぼくもミナミの夜の世界にデビュー。

そして、とうとうお金の為に魂売りましたよ。笑

髪の毛を黒く染め、黒いスーツにベルサーチのネクタイ。

ミナミで3本の指に入ると言われる高級クラブで、雑用とボトル係から始まり半年がたった頃には、担当のホステスさんをつけ役職をもらえる話まで。

でもね、やっぱり所詮は無理なんですよ。やっぱそれなりに腹くくらんと。

ここでは書けない汚いことも結構あったし。

僕自身の身の危険(言われへん、言われへん!)も1度あったし。

結局1年もたなかったな。

でもね、結構稼いでましたよ!まだ貯金もあったし!

だけど最終的に競馬で殆んど失いました。笑

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大阪ストラット 6

大阪との縁は不思議なもので。

ぼくの46年の人生でたった4年間過しただけ。

早いもので、あれから20年以上が立ちます。

ぼくはもちろん、大阪には初っぱなからカルチャーショック受けまくりでしたよ。

なにせ、住まい生野、仕事場西成付近、遊び場ミナミですから。

そして今だに、とゆうか、ますます、とゆうか、携帯やメールのおかげなんでしょうね。

連絡きます。

「地震大丈夫やった?」

「寒いけど体調気つけてや。」

「今日、G.D.Fのライヴ、めっちゃよかったでー。」

忘れられてないことは、ありがたいですね。

ただね、この20年の間に、みんないろいろあったみたいです。

病気しちゃった人。連絡が取れない人。2回も離婚した人. . .  。

僕ね、人生は最期、帳尻が合うとゆうか、今大変な人も、ハッピーな人も人生が濃い人ほど、いつかしわ寄せが来るもんだと思うんです。

もちろん、うれしいも出会いも、悲しい別れもふくめてね。

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だからみんなの濃すぎる人生に乾杯!

元気でまた呑もうや!ミナミで集合!